50周年を機に従来のサッカーボールが中心で赤い縁取りのエンブレムに戻りました!
初心に帰りサッカーを楽しむことを忘れないよう活動していきます!
50周年を機に従来のサッカーボールが中心で赤い縁取りのエンブレムに戻りました!
初心に帰りサッカーを楽しむことを忘れないよう活動していきます!
「サッカーは面白い!」ということを子どもたちに伝えながら
「長岡京をサッカーの街に!」という夢をもって活動します
昭和48年(1973年)4月22日に、我が団の結団式が行われました。
当時の日本のサッカー界の状況は、マイナースポーツもいいところで、スポーツといえば野球一色の中、サッカー好きの青年達が、「こんな面白いスポーツは他にない!何とか多くの子供達に、この面白さを伝えられないものだろうか?」そしていつの日にか「長岡京市をサッカーの街に!」との夢を持って、長岡京サッカースポーツ少年団の立ち上げに至りました。
少年団のあゆみ | 社会人 ジュニアユースチームのあゆみ | |
1972年(昭和47年)12月~1月 | 長岡京市教育委員会主催の少年サッカー教室を開催。講師 大伴雅章、教室受講生は当時小5.6年生35名(昭和35年、昭和36年生まれ)で実施。参加者の多くの子供達要望を受けてスポーツ少年団登録(長岡京市で1番目) | |
1973年(昭和48年)4月22日 | 発足挙行式を実施 河村 弘美(25歳)、大伴 雅章(23歳)、伴野 貢(23歳)、山下 昌行(21歳)、田村 稔(19歳)、佐々木 徹(19歳)の6人の青年達で団を設立。団員は、サッカー教室に参加した、5,6年生のみの31人 | |
6月3日 | 少年団指導員による大人のクラブである、長岡京サッカークラブを創設 | |
1974年(昭和49年)4月 | 京都社会人サッカー連盟に「長岡京サッカークラブ」として登録。京都府4部リーグからスタートする | |
1976年(昭和51年)4月 | 前年度の京都府4部リーグで優勝し3部に昇格 | |
1978年(昭和53年)4月 | 大人の長岡京サッカークラブと共催で、第1回市長杯争奪サッカー大会を主催。現在同大会の小学の部と中学の部は廃止になり社会人の部のみだが、33回大会を数え現在も継続中で、運営は協会会長の藤村朋弘氏(元指導員)と事務局長の河村弘美元副団長が中心で実施されている。参加選手達は、多くが、我が団の卒団生であった | |
1983年(昭和58年) | 前年度の京都府3部リーグで優勝し2部に昇格 | |
1987年(昭和62年)8月 | 姉妹都市の伊豆長岡町少年団との交流が始まる。5.6年対象で民泊での実施。 夏に2泊3日で伊豆へ、そして、3月に1泊で長岡京市へという交流が始まった。当初、数年間は、大敗続き、このことが、後々、バネになった | |
1988年(昭和63年)4月 | クラブ所属人数の増加に伴い、1部昇格を目指す選手は長岡京サッカークラブ、シニア選手中心の天神クラブに分かれて2チーム登録する | |
12月 | 京都新聞社主催の、乙訓草の根スポーツ奨励賞受賞。この当時、団員は約300名を越す(神足小学校Gで人文字を作った) | |
1991年(平成3年)3月 | 京都少年サッカー連盟主催の公式戦で、初めての優勝 (監督 日越弥吉) | |
1992年(平成4年)4月 | 前年度長岡京サッカークラブ(トップチーム)が京都府2部で優勝し、1部に昇格を果たす。同時に天神クラブを「長岡京サッカークラブB」として登録 | |
1993年(平成5年)7月 | 20周年事業開催。記念誌「思いつづけて20年・長岡をサッカーの街に!」発行 | シニアチームをオーバーフォーティーズとしてシニア登録し合計3チームとなる(「長岡京サッカークラブシニア」) |
1994年(平成6年)7月 | 浜松市、浜名湖畔のさなる少年団サッカー部との交流始まる。4年生対象で民泊での実施 | |
1998年(平成10年) | 公式戦のすべて優勝、すなわち3冠を果たし初めて京都府代表として2度目の全国少年サッカー大会出場を果たす(監督 小島重毅) | |
2002年(平成14年)4月 | 少年団OBを中心とする「長岡京サッカークラブC」チームを登録。合計4チームとなる | |
2004年(平成16年)2月 | 30周年事業開催。記念誌「30年の歩み」発行 | |
8月 | 2度目の全国大会出場を果たす (監督 小嶋重毅) | |
2010年(平成22年)4月 | 中学生の部・京都ジュニアユース連盟に登録。登録名を長岡京サッカークラブに統一 | |
2011年(平成23年)7月 | 少年団OBで同時に日本代表に選出された家長昭博選手と宇佐美貴史選手を囲む会を開催 | |
2013年(平成25年)6月 | 40周年記念事業を実施。記念誌「」発行 | ジュニアユースを「長岡京SS U-15」として活動開始 |
2016年(平成28年)5月 | 一般社団法人長岡京スポーツクラブと共に発展を目指す(ジュニアの名称は長岡京サッカースポーツ少年団のまま活動継続) | 一般社団法人「長岡京スポーツクラブ」設立 社会人、ジュニアユース、レディースを中心に発展を目指す |
12月 | 3度目の全国大会出場を果たす (監督代行 木谷吉孝) | |
2019年(令和元年)12月 | 4度目の全国大会出場を果たす (監督 小嶋重毅) | |
2020年(令和2年)3月 | COVID‑19の影響を受け活動が制限され始める | |
12月 | 5度目の全国大会出場を果たす (監督 木谷吉孝) | |
2022年(令和4年)3月 | 一般社団法人長岡京スポーツクラブとの関係を解消 | 社会人A、ジュニアユース、レディースは別チーム立ち上げ、また新たに別のジュニアチームを立ちあげる |
4月 | チーム名称を「京都長岡京SS」としてジュニア単独チームとして活動継続 2022年3月現在の卒団生は約1100名となる | 長岡京サッカークラブとしてはB・Cチームのみ残る |